インターネットの法と慣習 インターネットの法と慣習
ネットワークには固有の法律があるのではないか。HOTWIREDの連載をもとに加筆・編集された本。現在一番のお薦め。(記事)

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2005.12.31

音楽配信躍進の年の終わりに思う

2005年もあと少しで終わるが、今年は日本の音楽配信が躍進することができた年なのだと思う。
ITunes Music Storeが日本で始まり、その影響か、日本の音楽配信サイトでも単価が下げられることになった。一足先に、携帯端末ではじまった着うたフルでも、3000万ダウンロードを超えた。
ただ、大晦日に紅白を聞いていて、ふと思ったことがあった。

インターネットに不法MP3サイトが溢れ、ブロードバンドの普及にあわせるようにP2Pファイル交換サービスが一気に広まった90年末から2000年初頭。インターネット時代には、インターネット時代に合わせた音楽ビジネスモデルを作るべきだという議論があった。
インターネット時代に、音楽のコピーを防ぐのは不可能であり、コピーを前提としたビジネスモデルを作るべきではないかという話である。
この新しい形として、よく言われていたものに、ライブをメインとするビジネスモデルがあった。これは、インターネットでのコピーは広告として許し、ライブでお金を稼ぐようにする、そしてCDもプレミアム商品のような形で販売するというような形のモデルだ。

ご多分に漏れず私もそういう方法があるのではないかということを言っていたわけだが、紅白を聞いていて、これは不可能になったのではないかと思ったので、こんなことをつらつらと書いていたりする。

端的に言えば、ライブで稼げるような歌が減ったのではないかと思ったのだ。
テレビで聞いていてもCDを聞いていてもそう悪い曲ではないのに、生で聞いてみると首をかしげるような曲が散見されるようになったように思う。単純に私の感性が、今の曲傾向に合わないのかもしれないが、昔の歌手ってもっと歌がうまくなかっただろうか。
もしくは、最近の曲は、エフェクト他で修正や特殊効果をつけることで成立させている曲が多くなったために、生で歌う場合、あまりうまく聞こえないのかもしれない。

ただ、どちらにせよ、あまりライブモデルには向かなくなったのではないかという気がしている。やはりパッケージ化された曲こそがメインなのではないかと。

音楽配信が躍進しようとしているのは、このような曲の傾向の変化とも関係しているのかなと思ったりした。

最終的に、こういう方向に曲が移り変わっていくのであれば、実は歌手なんていうものもいらなくなるのかもしれない。声すらも合成されて、それがネットに流れていくのだろう。パッケージ化された曲こそがメインになる時代って、何かが違うような気がしているのだけど、そういうものなのかな。

まあ、歌手のいない歌しかないのだとしても、当面はその曲を作る人はいるわけで、それはそれでよいのかな。そこまで全部コンピュータ処理されるようになってしまったら、そこに著作者性なんてほとんどなくなるわけで、その時、また、生演奏に戻るのか、それとも、著作物ではなくなってしまった音楽が流れる時代になるのか、それは気になったりする。

11:11 PM [著作権] | 固定リンク このエントリーを含むはてなブックマーク


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