インターネットの法と慣習 インターネットの法と慣習
ネットワークには固有の法律があるのではないか。HOTWIREDの連載をもとに加筆・編集された本。現在一番のお薦め。(記事)

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2003.12.06

レッシグ教授関係

結構色々ととりあげられているようだ。私が書いた方がいいことは無いかな。
ちなみに、下で書いてた仕事というのは別件で、原稿関係はきちんと書いてる。研究は・・・やばいけど(汗)
講演録としてはこれをみればいいし、ドラフト関係はこちらをみればいいと思う。

GPLとCCの契約の話については、小倉先生説で正しいのかどうかいまいち確信が持てない。私の周囲ではあれは少数説だという意見がでているし。
確かレッシグ教授は前に契約じゃないという話をしていた気がする。CCjpのMLで流れた話で、はてな時代に書いた気もするが・・・ああ、これだ。
CCの場合GPLと違って有利なのは、基本的に使用によって何かの被害が生じるなんてことが無い点か。そりゃ精神的被害を受けたとかそういうことはあるかもしれないけど、それは一般的な契約で対処すべきことじゃない(笑)

-以下、MLで出た話と自分の意見がごっちゃになってわけわかんなくなったもの-

契約の有効性なんて多分どうでもいいのだ。その精神に賛同したものだけが参加すれば、それで問題は解決する。今までの論理でははかり知れないものを作ろうとした時、それを法で保障するなんていうことは多分無理で、むしろ足かせにしかならないのだろう。
僕らは僕らの理想郷を目指して歩き続けるけれど、現行の経済モデルに目をつけられないよう邪魔されないよう、一応契約モデルっぽいもので僕らの世界が保証されているように見せかける。僕らの世界のルールを法律のように見せかけただけで、実際の法律とはかけ離れているようでも別にかまわないのだ。法律のように見せかけることで訴訟のリスクが減ればそれでいい。
僕らの間では僕らの内部ルールに従っていれば紛争なんて起きない。貢献している人間には感謝しよう。そして使わせていただいたら、できれば自分も貢献しよう。フリーで流通するくらいはかまわないかな。著作者表示していれば他はどうでもいいよ。etc・・・

そういう意味で、コンテンツの作成ツールにCCの選択画面を導入しようというレッシグ教授のプロジェクトはCCを広めることには役に立つだろうけど、紛争を呼び起こす選択肢なのかもしれない。なんとなくでCCを選び、そして自分はそんなの選んだつもりはないといって紛争が起きる。理念に賛同したもの以外では普通に起こりうるのではないか。
コンテンツは自分のものという意識が強ければ強いほど、問題は起きるだろう。

ということは多様性もまた必要か。一つの領域が失われても、他にもまだたくさんの領域が残っている、そういう状況の方が望ましい。それぞれが検索可能性を維持していれば、乱立してもそこまで問題にはならない。
倫理の違う者達が、それぞれの倫理を明文化してコミュニティとして検索可能にしておく。そして入るためのルールを表示する。そうやって相互に連関することで、一つの巨大な領域を作り上げ、その中の一つが失われても、すぐに他の領域がそれをカバーするなり、新しいモデルを作り上げるなりして、領域を維持する。

ああ、なんかわけわからなくなった。
さて、そろそろ学校に行ってまた資料集めてくるか・・・。

# そういやレッシグ教授は今日アメリカに帰るそうだ。1週間お疲れ様でした。

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